芳田の説明書♪
本日は、もっと芳田に興味を持って頂こうと、幼少期から現在に至るまでの経歴や自己紹介をまとめさせて頂きます。このブログは常にバージョンアップさせていきたいと思いますので、更新日を記入させて頂きます。
本日はマジで忙しかった。が思いついてしまって1時間かけて書いたw
大作です♪疲れたw
2017/2/17更新
現在 35歳 男性 妻一人w 子二人(男の子二人)
特徴 ヒゲと眼鏡と金髪 女子より女子力高め スイーツ男子
趣味 カメラ 音楽 旅行
役職 chouchou mimi DAYAFTERDAYCOFFEE 代表/director
幼少期
奈良県吉野町という田舎に生を授かり父と母と弟の4人家族。
近くに祖父祖母の家があり、両親が共働きだった為、よくおじいちゃん、おばあちゃんに面倒を見てもらいました。そして、第二の父、母である母親の姉夫婦(森本のおっちゃん、おばちゃん)にもかなりお世話になりました。残念ながら、森本ご夫婦にはお子様が出来なかった為、僕と弟を子供のように愛情たっぷりに育ててくれました。ごく一般的な家庭に生まれ育ち、そんなに裕福な環境ではありませんでしたが、活発でやんちゃでワガママに育ったのは、両親が仕事で忙しくても、おじいちゃん、おばあちゃん、森本のおっちゃん、おばちゃんの存在があった為、おもちゃや、お金の心配はありませんでした。
なんせ、親みたいな人が3組もあったのですw
本当に絵に描いたような、野山を駆け回る少年とは僕たち兄弟の事だと思います。
沢山のいたずらをして、近所では有名でそこらじゅうのおっちゃん、おばちゃんに怒られてましたw保育園、幼稚園と行きましたが、そこでお山の大将的な存在で友達には偉そうにしていたそうです。この辺から今の僕の片鱗が現れていますねw
小学生
クラスは20人以下で6年間同じ仲間と過ごしました。
相変わらず、あまり勉強はせず、休み時間は外を走り回っていました。
走るのは速かったので、運動会やマラソン大会はだいたい1番か2番だったと思います。
でもライバルがいて負けたらとっても悔しくて、次は絶対負けねーと闘争心剥き出しの子供でしたwでもこの負けず嫌いに火がついたのが、かっけこや、マラソン大会だったと思います。
高学年になると野球をしていました。親父の影響で幼少期から阪神タイガースファンです。
物心ついたときには自然と阪神タイガースの帽子を被っていたので、親の影響とはすごいと思います。でも、運動神経は良かったと思いますが、なぜか野球の才能はなくそこそこ出来たとは思いますが、そんなに上手ではありませんでした。小学校6年生の時、中学行ったら野球はやめておこうと思った事を今でも覚えています。そして、初恋は4年か5年の時、当時6年生の子がめちゃくちゃ優しくて、可愛かったのを覚えています。でも、とくに子供だったので、時間とともに学年も違うし、忘れていってしまいました。
中学生
ここからが僕の人生が荒れてきますw
当時Jリーグが開幕しサッカーが人気になり、野球に才能が見出せなかった僕は先輩や友達の誘いを断りサッカー部に入部。サッカー部はそれほど厳しい上下関係もなく伸び伸びとスポーツが出来たので、非常に楽しかったです。友達も出来てチームもそこそこ強かったので充実した部活動が出来ました。僕の実力はというと、多分運動量はチームで1番だったと思いますが、足元の技術がなく、走りまくって技術を体力で誤魔化しておりましたw
当然、Jリーガーになれないと気づきますw
中学校で出会った友達はちょっと刺激的で当時はまだヤンキーっぽいのが残っていて、僕も髪の毛を染めてみたり、制服を改造してみたり、た◯こを吸ったりしてしまいました。喧嘩は体が小さかったのでしませんでしたが(100%負ける為)イキがっていました。僕はこの辺りから人より目立ちたいという感情が出てきたのだと思います。音楽はブルーハーツやXJAPANを好んで聴いてました。すべて友達の影響でした。僕はよく考えてみると、今でもそーですが、かなりミーハーで人の影響を受けやすかったり、流行り物に弱かったりとするようです。この辺がダメなところですね。親や学校の先生には反抗しまくって学校を休んだり、お昼から部活にだけ行ったりとしてました。勉強の方は全然でしたが、何故か、めちゃくちゃバカでは無かったように思います。ただ先生には本当に申し訳ないのですが、授業がめちゃくちゃしょうもなくって、寝たり、どっか遊びに行ってたりしました。テストも休んだりしていたので通知簿に空白(評価なし)を付けられたこともあります。この頃、はじめて美容室に行き、髪の毛をスポーツ刈りからセンター分けに変えた頃ですねwだんだんと身なりも気にし始め格好良くなりたいとか思うようになっていきました。そして、美容師になりたいと思ったのはこの頃でした。理由をよく聞かれるのですが、デスクワークは絶対出来ないし、髪の毛とか服装とかは、自由が良いって思っていたのでこの時の選択肢は、服屋さんか美容師しか思いつきませんでした。そして高校に進学したくないと、親と学校の先生に伝えましたが、揉めに揉めてなんとか高校は行ってくれと親の願いと、僕にもまだそれほどの勇気がなかった為、美容師になるのは高校を出てからとなりました。しかし、中学校最後に将来の目標を書いた時に美容室オーナーになると書いてありましたが、夢が叶っている事は少し自慢です。
高校生
長くなるので、かなり割愛しますがチャラチャラしてたというのが正しい表現だと思います。
オシャレになりたいとか、モテたいとかしか、なかったように思います。
バイトは頑張ってしてました。遊ぶお金が必要だったのでw
勉強はほぼしてません。この頃、明確に美容師になろうと決めていました。
先輩の影響でサーフィンを始め、ロン毛で色が黒くガリガリだったので『ごぼう』とあだ名を付けられていましたが、さらにイキがっていました。この頃、木村拓哉さんのビューティフルライフという美容師のドラマが流行しカリスマという言葉が世間を賑わしておりました。そしてギリギリで卒業です。
美容師アシスタント時代
そんなこんなで、車を買うためにアルバイトをして当時はハイエースというサーファーに大人気の車をゲットした後、いよいよ美容師になりました。当時1店舗の前会社に入社させて頂いてから、僕の美容師人生が始まりました。今思うと、金髪にパーマの狼みたいなヘアスタイルの僕を雇って頂いた事が奇跡でしたが、そこから、社長や上司に恵まれ僕の人生が大きく変わったと思います。右も左もわからない美容師の世界、通信で免許を取得するまでは、休みの日も学校があったり、美容師の技術の鍛錬も大変でしたが、不思議と辞めたいとかはなく、同期や先輩、後輩も増えてきて、毎日が充実した日々を送っていました。アシスタントの時期はあっという間に過ぎ去り、とにかく早くスタイリストになりたい!!認められたいという思いから頑張っていたように思います。
美容師スタイリスト時代
僕は器用なタイプでもなく、営業能力も高くなかったので、正直成績を上げていくのは苦労しましたが、お客様の事が好きでよく話をさせてもらったり、周りのスタッフにも助けられてなんとか居場所があったかなという程度の美容師だったと思います。ライバルや後輩や先輩方が成績を上げていくので辛かったこともありました。
美容師店長時代
そんな折偶然チャンスが回ってきました。会社がものすごいスピードで成長をしている中、
25歳の時店長になるチャンスがきました。逃がすまいと必死になっていた事を覚えています。店長になった後は、責任と、成績のプレッシャーとの戦いでした。スタッフとの関係や他店舗との比べ合いに苦しんだりもありましたが、みんなに支えてもらってなんとか食らいついていた印象です。正直、僕が原因で辞めてしまったスタッフもいたので、申し訳なかったと、今でも思い出すと悔やむ気持ちがあります。でもこの店長という役職でかなり成長させて頂きました。ご迷惑かけたのですいません。
美容師マネージャー時代
最終段階はマネージャーという役職を頂きましたが、これまた失礼ですが、何の業績も残せませんでした。ちょっと書いてて、ネガティブになってきました。が事実です。
会社やスタッフのために懸命に頑張ってきたつもりでしたが、貢献はそんなに出来てなかったでしょう。反省ですね。
丁寧に人間形成して頂き、今の僕があります。ここも詳しく書いていきたいのですが、もはや10年以上勤めさせて頂いた事を記事にするのは難しいですし間違った表現をすると失礼ですので、割愛させていただきます。ですが、社長には今でも可愛がって頂き感謝しています。これからも宜しくお願いいたします。
独立当初
前会社には何の不満もありませんでしたが、30歳を超えた辺りから自分の力を試してみたいと思うようになってました。給料も沢山頂き、マネージャーというポジションも与えて頂いておりましたが、これはもうただ単に僕のワガママを貫いてしまったことになります。
自分が社長のようになれないのは、百も承知でしたが、男のロマン言えば格好良いのでしょうが、独立を認めて頂いた事には今でも感謝しております。
ただ正直不安もありましたが、とにかく全力で自分のやりたいスタイルでやってみよう!!
妻も美容師で優秀なのでなんとかなるやろと思い独立しました。
(この辺りの思考も面白いので、また追加していきますね)
独立後〜現在に至るまで
少しづつですが、お客様も来て頂けるようになった時に、改めてお客様への感謝やスタッフに助けられてるなと思いましたが、僕が出来る事を見直した時に、もっとお客様に綺麗に可愛く素敵なヘアデザインで、毎日が楽しく、過ごして頂く為にはやはり技術がもっとうまくないとダメだ!!接客も雰囲気もサロンイメージも、もっとハイセンスで魅力的なサロンじゃないとダメだと思うようになり、またカット技術を一から見直して、定期的に自分たちのサロンイメージのデザインを発信して、スタッフにも常にお客様のための自分達であるようにと、声かけをしています。やはり、僕の美容師のイメージは、憧れられる格好よさと、センスそして充実さと豊かさだと思っています。まだまだですが、少しづつ形にしていきます。
中学や高校生の時に憧れたイメージの理想を追い求めていきます。
現在も経営のことはまだまだですが、美容師としてのスキルアップや、スタッフや、お客様がワクワクするような仕掛けをたくさん考えています。今は2店舗になりましたが、拡大していく事は実はあまり考えておりませんが、僕は最終的に本当に一人で美容室をやってみたいと思っています。自分がデザインした空間で自分の手で、お客様の全てを引き出せるような美容師になるのが今の夢です。現在も、もちろん頑張っていますが、理想は尽きません。夢見がちで、ダメなところだらけの僕ですが、未来に向けて毎日を全力で過ごしています。今でもまだキャリアハイが全然出そうなので、これからの自分が楽しみです。もちろんスタッフやお客様の事を1番に思っています。2番が自分のことかなw
長々と書いてますが、残しておくことが面白いと思うので定期的に更新してもっと掘り下げた内容にしていきますね。マジで莫大な量になりそw
そんな芳田のご予約はこちら↓↓↓
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